印度ビル屋上の植栽。
■何十年?も年月が経っているのに、誰も水遣りなど世話をしていないのに、植物は育っていた。生きていた。まさしく「自生」していた。
こんな、都心部のビルの屋上、という過酷な環境で。信じられないようなほんとの話。
しかもそんなに荒れた感じではなかった。根や地上部が思わぬところに触手を伸ばして、知らない水源めざして競争をくりひろげていたけれど、そうやって生き延びた植物が、協調しながら生きていた。
■はじめから、自生の庭(植物が自らの力だけで生きる庭・空間。)をつくることは、緑のプロは、基本的にしないし、そういう機会を与えられない。
もしあってもそれはデザインされた庭や植栽と呼べるものになりがたい。特に屋上では。
もし、自動潅水も、水遣りをする人もいない庭(植栽)をつくってくださいと言われても、こんなナチュラルな庭はなかなかつくれない。
■おそらく「緑化する」という意識にすりかわり、公共建築物の緑化などで使われている「セダム緑化」のようになってしまう(乾燥に耐える植物で、同じ樹種をひたすら植える=これはデザインではない。)のがおちである。
■植物が自生できる庭=これこそ、「サステナブル」な庭のかたちのひとつだと思う。
植物の本来の力が発揮され、人工的な配慮などいらない庭。自ら生きられる庭。それは、どんな植物でもいいわけでなく、その環境に適したもののみが自生できる。
今回のは、究極の年月の重みを経たものだった。
■この花壇の植物ひとつひとつの雰囲気や、様々な植物が多様な感じで植えられているから、それだけでいい感じと思うのではないと思う。
やはり空に近く開放感があるから。
タイル舗装など屋上のデザインがかっこいいから。
建物自体もいい味を出しているのを感じるから。。ではないかな。
|